遺された道標
私は、荒廃した小道の路傍に掲げられた道標になりたかった。それを書いたのは先陣を切って道を切り拓いた開拓者ではない。それでも、通る者も少ない経路を、少しでも安全に、うまく歩けるよう、祈りを込めて、何人目かの通行者が遺したメモ書きに。その内容は自分がかつて犯した過ちかもしれないし、想像上の自分がそうしてしまうかもしれないという注意喚起かもしれない。事前調査や検討の結果わかったことかもしれない。誰かが同じ道を通ろうとしたことを、通った結果こうすればよかったと考えたことを、後に続く誰かに知ってほしかった。
でも現実にいる私は、ふらふらと歩き回っているだけでろくにやるべきこともせず、自分では何もしないから大した知見もないのに、聞かれてもいない無用なアドバイスをまくしたてる、マウンティングがウザい迷惑な部活の先輩、職場の使えない同僚に過ぎない。
実際に必要なのは先駆者のほうだ。あるいは、開通した道を地道に整備し続け安全を保つ者だ。自ら主体的に選択、行動し、責任をもって生きる。次の世代を生み育てることに積極的にコミットする。そういう人だ。まちがっても、ランダムでムラのある仕事をする孤独で無責任な人間じゃない。
歩いてきた道が途切れていたらどうする。その先に未来がなかったならば。