Receding Edge

いわゆる地方をレンタカーで移動する機会があった。こんなところによくぞ町を、田畑を、港を、と思うことは数えきれないほどあった。しかし、かつてはそれが必要だったからこそ、そこにそれらがある――あるいはあった―のだろう。食料を他から持ってくる、ましてや海の向こうから、なんてことは想像だにできず、一日のうちに町と町を行き来することもかなわず、地方にとっての大都会へ出ることなんてもってのほか。そう思うと、このは人々の生活の中心、賑わいの場であって、彼らにとっての都会でありえたのだろうと思う。しかし、そんな魔法――もしくは呪い――ももうない。もはやそのような集落を支える人口も、産業もない。人々は時速数十キロメートルで移動できるようになった。なら、小さな都会は必要ない。都会へ出られるようになったなら、都会へ出ない理由はない。もっといえば、その産業にしがみつく必要も、その土地を離れない理由も、なくなった。その土地や産業に縛られてきた人々が、その呪いから解放されたということだ。今の生活を変えたくない――それ自体は至極まっとうな願いだ――人々はその地に残るとして、彼らが去った後に、そのような場所は残るのだろうか。いくらかはそうだろう。子孫たちがそれを受け継ぐ。あるいは、そこに希望や安らぎを――または妥協を――見出した人が、そこに移り住むかもしれない。だが、その割合はどれくらいだろう。地方鉄道や道路は無くなっていくだろう。インフラの維持に必要、そこでなければできない産業があるなどの必要性がない限り。ただ人が減り、いなくなっていく。人工物は朽ちていく。でも、何のコストも背負わないにもかかわらず、それらを惜しむ者の気持ちは、カリフォルニアから来た娘のそれと大差がないのだ。

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