Just

対価を求められることなく思慮深く配慮に満ちた高い水準のサービスを受けられる。相手が自発的に執事やコンシェルジュのように振る舞うようになる。他者から尽くされることは、その人物自身の価値の高さの表れである。そんな認知が、どこかに存在している。そして、そのような価値ある人々が抱く認識や印象、動向を 、まるで錦の御旗のようにして、何らかの主張を行う人々を見ていると「消費資本主義に適応しすぎなくらい適応できていてえらいっ!」なんて皮肉の一つも出てしまう。

お金を使った顧客に対してちゃんと優遇するギョーカイで、これだけお金を使ってるからちゃんと優遇されてるんだ、そんな影響力ある人々の印象を損ねるようなことをしたからお前らはもうおしまいだと。そのような一度傷のついた、穢れた存在を容認する企業の製品は、たとえ名義を変えようが、選択肢には到底なり得ないと。上客がもたらす利益は全体の大きな割合を占めるのだから、富裕層からの利益を失うことは多大な損失なのだと。優遇されるだけの地位にある者は、それだけの利益をもたらしているからなのだと。優遇されない立場の人間は哀れだし、優遇されない身分で、貴賤をわきまえない者は愚かなのだと。そのような高貴な存在の印象を、機嫌を、損ねるような振る舞いはご法度だと。彼らの認識や印象がその場における物事を左右するのだし、彼らの認識、市場原理、物事の道理に従わないのは愚かなことなのだと。彼らの威光を知らないのは無知と愚かさ故だ、反対者は頭が悪いし、その行動、思考体系は危険すぎるのだと。

富裕層の意見がそんなに偉いと言うのなら、「富裕層がそう思っているから」「そう行動しているから」という理由付けで、虎の威を借る狐の格好で、自らの主張を正当化するのであれば、そのような発言者たちは、社会をどうしていくかについて、資産が発言権に比例する制限選挙を市場原理に基づいて合法的にやりたいという勢力との差がなくなっていくことだろう。資本力に基づいて、政治的権力を経由せずに、社会の行く末に影響力を持つことができる。参政権に制限を加えずとも、「儲からなくなれば作られなくなる」「そのような社会的合意を目指していけば実質的に目標は達成できる」のだから。大きな購買力を持つ資本家に対して、それを買わないような社会的合意を作れば、高いテコ比でそのものを作られなくすることができる。特定の分野でクレジットカード決済が行えなくなったこと、インディゲーム開発者が銀行から売上を引き出せずにいることを考えれば、絵空事とも言い難い。「悪評のあるものと関わりがある存在と組んでイメージを悪化させたのだから、キャンセルの対象となってもやむなし」というのがキャンセルカルチャー以後の社会。そしてその行使は資本主義、市場経済によって容認され強化されていく。

自分は行わないから、関係ないから、現実的にどうであるかを無視して大変結構なことを言っても、自分自身は一向に困らない、ということはよくあるだろう。そして、部外者の意見は、外部からの視点は、身内の論理だけで物事が進む蛸壺、エコーチャンバーに陥らないために尊重されるべきだ。たとえば、セックスしたくない人は、セックスしたい人が「できなくても生きるのに必要じゃないんだからやめればいい、私は何も困らないし、あなたも生命を脅かされることはない」といつでも言うことができる。

現代において、繊細で感受性が高いことは、むしろこの上なく活用できる武器だ。弱さとは強さだ。具体的な機序の説明を欠いた不安や、道徳的な立場に基づく評判の悪化、レッテリングによって、個人の感想以上の力を、その主張に持たせることができる。SNSで言われている様々なトピックに関する議論を見れば、結局どれも社会正義は私(や私が好むようなもの)の側にはなく向こう側にあるということを、考えずにはいられない。そして、それはそういう生き方や思想、人格を形成してきた自分自身の選択に帰責されるのだ。正義に悖ることをする主体をキャンセルすることは善だと、影響力のある著名な社会学者も認めている。自らの側に正義がなく、社会から排除されるべきものである場合、その存在はどうするべきか。社会の一員として、自らを排除すべきなのではないのか。私はskittlesの袋に含まれる潜在的に有毒なひと粒だ。そして自分が無毒であるかどうかはわからない。たとえそれが強要されうるものではないとしても、配慮として捉えられるのであればそれは良い事であるし、自己排除を実践するのは善となるだろう。自称通りの人間は誰もいないのだ。

資本主義が勝利した現代社会において資産を持つものは市場原理を通して優位で正しく倫理的な存在でいられる。いいはなし。同じように、表現規制を目的とする集団は、それを達成するためには公的規制を伴わない形で行えば、表現の自由とは関係がないし、憲法違反でもない、非合法でもない、優れた方策というわけだ。クレジットカード会社が拒否することも、大手通販が置かないようにすることも、ゾーニングや企業の自由の範囲。汚いことは何一つない。これもまた別のいいはなし。

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