Cycling is a Sport
自分で乗り比べてみて初めてわかったことがある。公道を走る存在として、スポーツサイクルと自動車は、乗り手の精神において全く異なるものだ。
なにせロードバイクは修羅の道だ。ゆるポタ と称して100km以上を平気で走破させ、自転車の値段に見合わない成績のライダーを 貧脚 と罵倒し、標準的なものより軽いギアを 乙女ギア と呼ぶ。そういうマッチョな態度やマウンティングがウケるのだろう。SNSにしろショップブログにしろウェブメディアにしろ、そのような記事を少なからず目にする。読者が求めるもの、興味関心がそこにあるのだ。需要と供給。そしてそのような態度は、競技にしろ、ウェブサイト上にしろ、実際の数値でも優れているのだろう。 実際問題、負荷をかけなければ、走れる距離も、出せる速度も伸びないし、多少無理矢理にでもやらなきゃ人は自分に負荷をかけようとしない。それはおそらく正しい観察なのだろう。
また、自動二輪車ではプロテクタが当たり前の装備として広まりつつあるが、ロードバイクでは肌を露出したウェアが当たり前だ。もちろん、激しい運動なのだから放熱性を高めるのは理にかなっている。それでも、安全よりパフォーマンスを重視する態度も、サイクリングは一般公道で行う陸上競技だと感じさせる。長時間長距離のライドや、スリップストリームのために接触寸前の距離で行う隊列走行は、自動車運転者から見た交通安全に反している。
自動車や二輪車の危険運転を度胸試しの不良文化と評するならば、スポーツサイクルにあるのは体育会系の文化だと、私は予感している。移動のための手段ではなく、自らの能力を発揮するための行為。だから高い速度を、長距離走行を、獲得標高を誇る。それは乗り手の能力がそのまま現れる指標だからだ。己の脚力のみによって成し得たことの象徴だからだ。