金や資源の無駄遣いをやめよう

人が生きる上では多大なる資源を消費する。特に先進国に暮らしている人々はそうだ。そんな贅沢をしていながら、当人の自認としては不幸で苦しいのであれば、これはもう万人にとっての不幸でしかありえない。当人も苦しく、他人もリソースが不足して苦しい。誰一人として得をしていない! よく、年収云百万円に満たないなら、それは再分配する側ではなくされる側であって、だから税金や社会保険にかかる支出を減らしてほしいというのは自殺行為なんだよ、という主張がなされる。なるほど。そうであるならば、そのような人々は少なければ世の中の負担は減る、ってことだ。何も一律に全員を抹殺するというわけじゃない。それでも、生きていてたいして利益がないと思っている人ならば、本人も望んでいるんだから、それを実現すればみんながハッピーになれるんじゃないのか。むしろ、そのような死に方が提供されないがゆえに、人々は不安全で不確実で多大なる苦痛を伴う手段を用いなければならないのだ。たとえある手段を禁止しようとも、需要がある限り、どこかしら供給がなされる、あるいは自給自足が達成されるのである。ならば安全で確実で苦痛のない方法を用意するほうがマシであろう。

本人の幸福感が問題だとするならば、こうすればどうだろうか。ドラッグをキメてもらって、最高に気持ちいい状態になってる中で、一瞬で意識を喪失させるような殺し方をすればいい。ある種のドラッグは、常人が一生で得られるものよりも大きい快楽を味わうことができるのだという。先の方法ならば、その人物は、ドラッグによる副作用を心配せずに、一生分の多幸感を得たうえで、幸せに死ぬことができるだろう。当人にとっては幸せな一生だ。ドラッグの製造コストも大したものではないだろうから、資源や金の節約にもなる。ところで、こういう話をChatGPTにすると、幸福は必ずしも脳内の化学反応に還元されず、人生の中で経験することによって幸せは得られるのだと決まって返してくるが、だからそれこそが迂遠な手段をもって脳内の化学反応を生起させていることに他ならないだろうと、全く話を理解していない、というか理解することを拒んで定型的な返答を返してくる 検閲 にがっかりさせられる。

まあ、こんな話をしても、どうしても「人を生かす」という使命から来るバイアスを免れ得ない医学の思考体系からは、上記を肯定するような理屈は一般には認められないだろう。不治の病や耐え難い疼痛に苦しんでいるわけでないなら、生きていれば改善の余地はある、と繰り返すばかりだろう。馬鹿げてる。そのような改善に対する努力をしたくない、物事がよくなるかもしれないと期待することに疲れた、と言っているのに。

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