資本主義はますます有効である

シングルスピードバイク調査の延長として、オールドMTBのスタイルっていいよなあと思っていた。歴史的遠近法の彼方で古典になったことで得られるClassless感。これとかもいいな。クロモリじゃないスチールフレームだからクソ重だしどちらかというとルック車だけど。

でももしかして、こういうオールドスタイルなもの――自転車に限らず――を求めることって、敗北主義なのではないか。スポーツ自転車というのは、その名の通り速く走るためのスポーツ用具なのだから、そこに新しいテクノロジーが投入されるのは当然のことだ。現代を生きる人間なら、最初から最新のα7に行くのが、最新ムーブメントのグランドセイコーを買うのが、カーボンフレームで油圧ディスクブレーキでDi2に乗るのがいっちゃんええわけ。本当に良いものはカネがあればいまでも手に入る。昔のものよりも性能も品質も上がっている。ヴィンテージに走るのは、要するに貧乏だからだ。それに対して――技術にしろ資金にしろ――ついていけないようなヤツは、レーサーを求めるライダーではないし、レーシングギアを売るメーカの客でもない。王道から逸れる懐古厨は、能力不足で真正面から戦えない弱虫、資本力の足りない貧乏人なのだ。強いこと優れていること勝ること正しいこと、これらには無条件に降伏するしかない。Sandy Bridgeおじさん、リムブレーキおじさん、あとひとつは?」

低価格帯は儲からないから、市場参加者が皆ニーズよりウォンツ、コモディティよりラグジュアリというビジネスの鉄則を追求した結果、順当に高性能で高級で、高額なもの――高品質とは限らないが――ばかりになってしまった。そのほうがメーカにとっても楽だし、楽しいし、儲かる。メーカは、他の選択肢と比較して十分に優位であれば、本当に良いものを作る必要はない。本当に良いものは、相応の対価を支払えるものだけに与えれば良い。過剰品質を排除することは利益拡大につながる。逆に安い方はどこまでも下がっていける。Global化の恩恵さまさまだ。グローバル分業が進むに連れ、先進国で作るものはますます先鋭化する。クラフトマンシップか最先端技術か、高付加価値なものでなければペイしなくなる。サプライチェーン全体がそうなっていく。国内で完結できる製造なんてどれだけ残っているだろう。

もちろん昔のものだっていいものばかりではなかった。とはいえ、まともなものを入手するための金額はどんどん上がっている。おそらくは、今まで安く買えていたのは、そっちのほうがおかしかったのだ。タイプRが200万円でGT-Rが500万円で買えた時代のほうが、消費者が製造者から奪っていたのだ。ともあれ、そのようにパワーバランスが変化した結果、本物に触れようとしたときに一番手っ取り早いのは、本当に優れたラグジュアリでも、ニッチで希少なハンドメイドでもなく、ましてや利益最大化生産性最適化された最低限“用が足りる”コモディティでもありえず、昔のそれなりに良くできている商品を探すことになっているんじゃなかろうか。真正面から新品のいい物を買えない貧乏な負け犬の遠吠え? そうね。

テクノロジーの進歩によってなのか、マーケティングによってなのかはわからんけど、世代間の進歩が激しくなって旧世代はすぐに時代遅れになってしまうし、低性能で不安全だけど安いものは規制や市場原理によって消えてしまうし、結果的に最初から金持ちであるか、人並み外れた胆力を持っていることでしか、これからの世の中で何かを享受することは難しい。アクセスできないものは客ではない。かつてはグローバル化もなかったし、客が多くの分け前を取りすぎていた。メーカが十分な利益を取れるようになったということ。均衡はメーカの方へ動いている。過去の製品がいかに手間暇かけて作り上げられた真に良いもので、それがお求めやすい価格で提供されてしまっていたかは、市場が未発達の資本主義の証拠なのだろう。現状を見よ! 安物には安物なりの品質しかない。そしてそれが正しいのだ。値段以上の価値を製品に与えることは、値付けの失敗なのだ。良いものは高い金を出さねば買えない、良いものは付加価値をつけて売るべき。消費者とメーカは対等ではないのだ。単なる消費者と趣味人が対等でないのと同じように――あるいはそれ以上に。

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