自然と不自然の境界

最近、スマートフォンの写真が生成モデルを用いて「でたらめ」な像を生成していると話題になった。もちろんこれは極限状況におけるものであり、そもそもかつては映すことができなかった領域へ能力を拡張したがゆえに起きた混乱だと言える。

しかし、「自然」ではない写真とは何だろうか。そもそも現代のスマートフォンに搭載されたカメラレンズでは、たとえばフィルムカメラのようには像が結ばれない。撮像素子の情報をそのまま使用したとしても、まともな写真にはならない。では歪曲や収差を計算機で補正する処理をした時に、その写真は自然ではなくなるのだろうか? そうではないだろう。

ならば、ズームレンズがないけど拡大した写真を撮りたい場面、暗くて映らない場面において、素子の特性やレンズパラメタに基づく補正や補間をしたら? これも不自然だという人はそう多くはなかろう。

ここで一つの疑問が浮かぶ。自然と不自然の境界はどこにあるのか? 写真用フィルムという特定の化学反応がもたらす限界を自然さの基準として扱って良いのか? そもそも人の目に見えているものが真実ではないし、あなたの見ているものが他のひとの見ているものと一致しているとも限らない。

単体ではまっすぐ動かすことさえ難しい不安定な機体を計算機で補正して制御することは不自然なのか? 手振れ補正を用いて描かれた線はズルい? 言語モデルによって修正された文は自分で書いているとは言えない? 何にしあわせを感じるのかの基準はどこにおくべきなのか?

雪風は何も答えてくれない。

(でも最近は割と言語で答えてくれるよね)

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