車を持つことはその人に社会性がある証拠

一人用の乗り物ばかり所有している。中には一人乗せられるものもあるが、必要な装備や腕前が不足していて、実質的には一人乗りだ。荷物についても、せいぜい自身で背負える程度のものしか運ぶことができない。そういう乗り物は、四輪車と比べたら、過激だったり、高性能だったり、楽しかったり、効率的だったりする。その代わりに失うものは何か。全天候性、積載性、安定性、そして何より社会性だ。

自動車を持つことは社会性がある証拠だ。なぜならそれは、雨が降ろうと槍が降ろうと、自分以外の人間を乗せる、誰かのために荷物を運ぶことができるということの証明だからだ。誰かとの約束を果たしたり、仕事をしたりすることは、自分以外の人間のことを考えているということで、それを社会性と呼ばずに何と呼ぼうか。自分一人だけよければいい、ではない、誰かのために何かをする覚悟と能力がある、どんな状況であっても機動力を発揮できる。その姿勢が、人を社会の一員たらしめる。自分だけ良ければいい、は放蕩息子の態度なのだ。

Posted by squeuei, licensed under CC BY 4.0 except where otherwise noted.