恋愛作品を読むのがしんどい
死ぬまでピュアピュアやってんのん? - “Rabbit hole feat. Miku Hatsune” by DECO*27
恋人同士夫婦同士でイチャイチャしてる漫画を読んでも最近は「でもどうせ私には絶対に、死ぬまで、完全無欠に、関係のないことだしな」と思って虚しくなる。周囲の人間が、物語の中にしかないと思っているような行為を、関係を、ごく普通の、当たり前の、日常的な行為として行っているのを想像すると、いったい私は何をやっているんだろうと感じる。しかし、誰からも見出されないということは、それが人々や市場の評価なのだということを認識することの苦しさ。でもそれが市場原理というやつだ。とにかく社会的に資格や価値がない人間で、それは私の性格や人格のせいなんだ!
自分が誰かと共同生活を送れる気は全くしないけど、そうすると世の中――というかインターネット――からは性格や人格がお察しとみなされるであろうこと(「女性を一人の人格としてみていない」「女嫌いの女体好き」だからそんなことになるんだよ)とか、周囲と比較して自分だけ精神や肉体で結びつく相手がいないまま終わるんだと考えてしまうこととかで、悔しさやら悲しさやら苦しさやらが溢れてくる。
一方で、かつての社会は片方を社会的に経済面で困窮させることによって権力関係を維持し続けてきたのだというし、それなら単身者が増えていることは世の中が良くなっていることの証拠だ。そして、単身者である幸せが広くいきわたった中で、それでも交際できてる人というのは、やはりすごい健全な人格者であるか、ものすごい利益を相手にもたらせる人なのだろう。だから、成功してる人は本当にすごく努力して勤勉なのだろうし、交際や婚姻してる人は本当に善良で健全なのだろうとわかる。これって人生のネタバレになりますか?
誰からも(恋愛の文脈で)好かれず、(婚姻の文脈で)信頼もされず、その逆も自らのうちに見いだせず、熱中できるものもなく、やりたかったと思っていたことも(ああ、本当はそんなにやりたくもなかったんだな)と一つ一つ気づいていく。その先に死が待っているのだろう。それを引き延ばす理由って何かある?