少女漫画がわからない

少女漫画(?)を読んでいて特徴的な語彙だと感じるフレーズや概念がいくつかある。たとえば国母。たとえば溺愛。たとえば番、あるいは運命の相手。

国母については、そりゃ女性の意識にしか上がらないものであろうとも思うが、一方で なんていう、場合によっちゃ4倍悪いと思われるような存在が、肯定的にとらえられる文脈も存在するのか、という驚きはある。もちろん、作中世界においてそれが最上級の賛辞であるということに整合性を持たせることは容易であろうが、読者の側がそれを肯定できるのかというのは別の問題だ。 、なりたいものですか?

溺愛については、 運命の相手 とも重複する部分があるけど、どうやら「 あなた (つまりは主人公のことだ)がいなくなってしまったら狂おしくておかしくなってしまう」という思いを、相手に抱いていてほしい、ように見える。それこそ先日言及した作品やオメガヴァースの(つがい)概念は「あなたなしでは生きていけない」を(作中)現実たらしめる仕組みだ。それくらいの執着と愛を向けてほしいのだということなのだろうか。人は愛に飢えていることよ。あるいは、相手も自分と同じくらい破滅するリスクを背負ってほしいという自分の脆弱性に対する怒り――?

あと、上と矛盾しているようにも見えるが、誠実に向き合ってくれる同志や「いい男友達」のような関係も、これまた人気があるように見える。こちらは、どちらかと言えば自分で生計を立てようとする主人公に多い。そりゃ当たり前か。パっと思いついたのが、あまり良い例ではないかもしれないけど、“魔導具師ダリヤはうつむかない ~Dahliya Wilts No More~”とか“魔法世界の受付嬢になりたいです”とか。さすがに後者は違くない!? 信頼できる相手になってからときめきたい、みたいなものなのだろうか。わからん。でもどちらかといえばこちらのほうが共感可能性は高い。

もちろんそれらの嗜好は、あくまでフィクションとして楽しむためのものであって、それなら味は強すぎるくらいのほうがいい、という考えは十分にありうるものだ。いくら戦争ものが好きでも、全員が全員、実際の戦場でPTSDになりたいわけではない。あと、それって少年漫画、青年漫画でも同じなのではないか? とか、そもそもその 分析 は妥当なのか、言いがかりに過ぎないのでは、とか、いろいろな批判がありうる。どちらにせよ、作品の主要な読者ではないので、私には想像することしかできないのだ……。

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