私達は投資家の養分となるために生きている
昨今、専門の記者や投資家が冷ややかな目線で人々や世の中を嘲笑っているかのような物言いをするのは、自分たちが正しいことをずっと言い続けてきたという自負があるからなのだろう。自分の所属する国や組織について冷ややかな目線を送れるのは、それが自分のアイデンティティに不可欠ではないから、それを切り離しても平気で生きていける強さの持ち主だからに違いない。そして、ずっと間違えてきた私(達)は、その選択の責任を取って自らを安く切り売りしながら苦しんで滅んでいくしかない。でもそれだって全部自分(たち)の選択、投票行動を中心とする政治的行動の結果だから、たとえ選択を行った際にその結果が予測不能だったとしても、明示的な選択をしない、放置するという選択を取ったのだとしても、選んたからには責任を取らなければならない。選ばなかった存在、免責される対象にはどうやってもなれない。そもそも、私達が一方的な被害者であるかのような物言いが歪んだ認知の産物だ。確定拠出年金で、NISAで、この複雑な金融システムを通して、私達は立派な加害者の一員でもある。
彼らの記事を読んでいると、利上げでインフレを抑制しつつ、不採算部門を退場させ、増税と緊縮で財政を立て直し、利上げの余地を確保する、それ以外の策は正当化され得ないだろう。それが痛みを伴うとしても、本来そうあるべきことなのだから、甘んじて受け入れるしかない。逃げればもっとひどいことが起こる。ぶっちゃけて言えば、日本国の財政が良くなるとも、日本の産業の優位性が高まるとも、そんなこと誰も思ってなんかいないわけで、そりゃ円安にもなるし緩和で株価を吊り上げたところで、何時か何処かで精算しなければならない時が来る。国よりも、人々の暮らしよりも、投機家の、資本の力のほうが圧倒的に強い。それを嘆いたとて現実は変わらない。光速が遅すぎると嘆いても物理法則が変わらないように。私達は投資家の養分になるために生きている。彼らを富ませるために生を受け、働くのである。