Emotions as a product

もはや旧聞だけど感情や感覚の話をしないって話。娯楽として楽しめるようにパッケージに収められ、商品化されたもの以外の他人の感情なんて、大抵の人にとっては負債や迷惑なものでしかないと思う。そうでなければ「自分で自分の機嫌を取れ」とか言われないだろう。普通の人はネガティブな感情は開示されたくない、するなら金を払ってカウンセラにしろ、くらいのことを思っていそうだ。身近な人にさえ。ちょうど介護は家族にやらせるのではなくプロに任せるのが一番いいのだという論調と同じように。況や他人のそれをや。

他人の生の感情や感覚を見聞きしたいというのは、ステーション・バーが奇異の目で見られるのと同じくらいには変な趣味だ。人間模様を謳うコンテンツですら、選定も編集もせずにそのままお出ししたら、えぐ味が強過ぎてとてもじゃないけど口にできない。そして人はそのような商品のことを小説やエッセイと呼ぶ。それはそう。あるいは政治的目的の達成に利用できるものとかか。たとえば保育園落ちた日本死ね!!!とかね。安全な娯楽か、目的達成のための道具か。他人の感情の使い途といったら、その程度。

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