Position Talks
投資アカウントのデマや陰謀論、煽動がひどいという話。確かに私もそう感じることはある。長文で生成AIに作らせたような文章を投稿してインプレッションを、収入を、アフィリエイトを得るアカウントの存在でSNSは埋め尽くされている。時には政治家によるものであるはずのアカウントでさえ、その匂いを感じとってしまうこともある(False Alarmであって欲しい)。
しかし実際には、投資家がかなりの影響力を持って動かしているのはSNSだけに限らない。企業の動きは投資家の配当や株価への圧力によって決まる。国家財政でさえ債券自警団には逆らえない。社会全体が彼らの対象だ。彼らたちは信念ではなくポジションと利益だけで行動する。それはそうだ。そしてそれゆえに、社会全体に対して行っている行動を、社会の部分集合であるSNSでもやっているだけ、ということではなかろうか。あるいは、インプレッションを得ること自体によって収入を得るという事業家である場合もあるだろう。
また、別の話題として、寡占的な地位を築き依存させてからサービスを劣化させて金を取ることへが批判もある。しかし、むしろそれこそが模範的な商売人なのではないか。投資家はポジションと目先の利益を考えるのが第一だ。社会全体の価値観や倫理とは二の次三の次。当然だ、それが彼らの仕事であり、使命なのだから。彼らはこの世の中で最も的確に判断する。投資家の動向は人々のあけすけな内心の表現であり、最も良い推測に基づいた行動なのだ。
社会全体がどうなろうと、それは投資家のメインスコープではない。マスメディアやリサーチ企業、投資会社に所属する人々も、世界情勢を見ながらほとんどの場合に特定の政権や政策への批判や恨み節を表明する。無数の社会活動家たちも、まさしく今現在私たちが置かれている任意の状況を利用して政治的目的の達成を志向する。
私を含めて、全てはポジショントークであり、認知戦であり、エコーチャンバーで分断された前提を共有できない集団間での利益闘争だ。中立なるものは存在せず、敵に反対しなければ敵と同じで、前提が共有できない相手とは交渉の余地はない。いかに自分たちの目的を達成するかの多数派工作、政治闘争、経済戦争。
ビッグテックが悪い? アルゴリズムに操作されている? それならどれだけよかったことでしょう。これがポストモダニズム、ポストコロニアリズム、大きな物語の終わり、脱構築、ポスト・トゥルース、そして何もかもが打ち倒されたあと最後に残った自然状態としてのネオリベラリズムと資本主義、拝金主義、自己利益追求。
専門家が言うことだって結局はポジショントークじゃないか。どんな事件だって、だからこのような体制を正さねばというナラティブに回収される。それはまさにポスト・トゥルースではないか? 各々が個別の真実を持っているから、それゆえに前提すら共有できない。共有できない相手とは戦うしかない。認知戦認定と陰謀論を隔てる壁は薄い。もはや議論しようとする相手とも事実や真実を共有できてるとは言い難い。そして物理的な時間発展が一意であったとしても、この世の誰一人としてそれを確実に知ることはできない。結局はここでも事実認定と主張の闘争となり、勝者が歴史を決めることになる。
少なくともここまで分断され、認知戦とポジショントークと権力闘争に支配されてしまった社会は、どのみち終わりじゃないのか。資本主義、市場経済という自然状態だけ残った。議論の前にある前提のすり合わせすら行えなくなったら、そこにあるのは剥き出しの多数決の暴力だ。お互いに合意なき裁量を振るいたがるから、対立する政治的立場の間の共通部分しか安定的には残らない。その他は、その時々の政治的強者によって恣意的に決まる。「陸軍としては海軍の提案に反対である」って“提督の決断”でも言っている。時間軸で見て継続的に得られるのは一部分だけになる。
この(私(たち)の)世の終わりが来たんじゃないかって眠れないし胃も痛いままだ。でも大丈夫、これはある意味でグレート・リセットだ。(私たちの暮らす)世界が打ち倒され、(私たちによる)不当な搾取が終わり、(私たちによって)虐げられてきた人々の希望が到来したのだ。それに、もし人類が滅亡に向かってもそれは本当の世界の終わりじゃない。動植物はそのまま残る――と言いたいところだか、動植物にとっても人の活動はエコシステムの一部だ。人類が滅びれば彼らも今のままではいられない。とはいえ、地球には何らかの生物(蟹かな? カニ化してるし)が残るだろうし、それにもし突然デス・スターの攻撃で地球が消失しても、世界は終わらない。宇宙が終わるのはものすごく先のことだからだ。