自転車の走る道
原付一種が支持される理由の1つは、実質的に30km/h制限が守られていない実態があることだろう。不運と踊っちまった奴がときどき速度超過や二段階右折で捕まるが、制限速度なんて守っている方が危ないという認識を持っているライダーはきっと多いだろう。30km/h制限なんて守らなくていい、生き残ることの方が大事だという、世の中的に平均的なモラルでいくのであれば、原付の方がいい。それはそのとおりだ。自転車が走る場所がない問題は、原付の違法走行が事実上容認されてきたことの歪みでもある。自転車が安全に走れないというなら、それは合法的に走る原付にとってもそうだったはずだ。しかしみんな原付で60km/hを出して走っている(ただし、それを言い出すと原付と同等以上の速度を出すことが想定されるロードバイクが、なぜ原付並かそれ以上の制動装置を備えていないのかという疑義が提出されることになる。そこで私は言葉に窮してしまうのだが。雨の下りのような危険な状況では速度を出さないというのは真っ当な答えだが、ロードバイクの文化からして誰もがそれを守っているとも思い難い)。
車道を走る自転車、片側一車線しかないと車で追い抜くのに苦労しますよね。自転車の速度で走れとでも言うのかと、お怒りの方も多いことでしょう。四月から自転車の取り締まりが厳しくなるからか、それを意識しての発言がSNSに増えています。そんな皆様に朗報、日本の道幅でも自転車を抜き放題の乗り物があるんです。自動二輪車っていうんですが。それは道路ってやつが整備されてないせいなんだ! と言ったところで、それを直ちに変えられないなら、当面はゼロサムのなかで戦うしかない。自転車と二輪車と四輪車は(少なくとも公道を走ってる間は)競合し合う敵対者なのだから。
道路交通法で定められた通りに走行するのが困難な道路の存在は不作為ではないのか。自動車専用道路や左折レーンとして、交差点外で左車線がそのまま分岐する。突き当たる側に直進信号も横断歩道もない丁字路、車両として右折、直進することの困難な道路。安全のために歩道を走れば良いは解決ではない。妥協だ。原則論としてこの場所を走るようにと法律で規定されているのにも関わらず、それを実現できないような設備を作り、「安全のため」に例外規定の援用を主たる運用とみなす、そんな態度を看過し続けてきたこと。
どうやら、路上には多様性がいらないというのが世の中の見解らしい。人々はロードバイクを憎む。車道を走る追い抜けない自転車を憎む。自転車は――時には二輪車も――車道から出て行けと。でも四輪車は仕事や生活に不可欠だからね、仕方がない。なぜ四輪車に特権的な物言いが許されるのかと言うと、仕事でも生活でも必要不可欠で、みんなが使っているから。だから二輪車の駐車場がなくても誰も文句は言わない。四輪車が駐車場渋滞を引き起こしても、誰も文句を言わない。四輪車の優越も、原付の速度超過も、電動アシスト自転車の歩道走行も、「生活のために必要だから」という理由で、特権的地位を付与されている。これが民意。誰もが「それが必要不可欠だから仕方がない」と言いながら、強大な力を振るっていることに無自覚なまま、弱者としての立場を守っていたいのだ。子供の送り迎えは駐車場がないから車ではできないし、子育ては時間がないから急がないといけないし、危ないから車道は走りたくないし、停止も減速も左右確認もしたくない。生きるためだもの、正しいかなんて二の次、今目の前にある問題を解決することがすべて。
横断歩道の歩行者を待つ自転車みたことあんまない、と言いかけたところで、そもそも車道を走ってる自転車がマジョリティとは言えないのだった。