Anything (it's me)
移動する速度というのは難しいもので、自動車や二輪車は当然として、案外自転車だって走り続ける方に注力しちゃって、あえて止まろうとか思わないんだよね。自動車みたいに速く走れて、歩行者みたいに周りに目を惹くものがあったらすぐに止まれて、自転車みたいにどこでも駐められる移動手段が欲しくなる。
明確に思い出せるエピソードがある。当時の私はまだ折り畳み自転車を持っていて、輪行して走っている先で道の駅に立ち寄った。私は少しだけ休憩をして、さっさと次の目的地へと立ち去ってしまった――目的地が閉まるまであまり時間的余裕がなかったのだ。でもあとから、あの場所にいた人々はみな楽しそうだったと思い返す。そして、思ったのだ。そういう場所に見向きもしないで、当初の予定を達成することだけ考えて動いてしまう、楽園から自ら立ち去ってしまうのが私という人間の在り方なのだ、と。
これまで旅した中でやり残したと思うことはいくつかあれど、それら全てを網羅したところで、私達はみな有限の命なのだから真の意味で全てを網羅することなどできない。それならば、たかが一つの旅行のうち、目的のいくつかを取りこぼしたところで、それが一体何だというのだろう。私達の人生にリザルト画面はない。何をなしていようが、いまいが、死ぬときは死に、その後には何もないのだ。今際の時の後悔の有無など、どの物理法則も構ってはくれない。私が旅先の目的を全て完遂しようがしまいが、全ての行きたい場所を訪れようが訪れまいが、乗りたい車に乗ろうが乗るまいが、生涯独身のままであろうがそうでなかろうが、生命が終われば私の人生はそこまで。満たされないことを嘆いても、死んでしまえば全部霧散する幻想でしかない。そもそもそんな思いは主観でしかないのだから、私以外の世界にとってはなんの関係もないことだ。人はいつでも死ぬ、
この天候の中で、自転車や二輪車に乗ってる人は気合いだな、愛だなと思う。私は、そうではなかった。一人で出先の写真を撮ったところで、他の人の貼る写真は恋人や配偶者と行っている場所なのだ。私は、そうではなかった。車一台バイク一台を買う買わないを延々やってる間に、みんなは子育てが、家の間取りが、と盛り上がってる。私は、そうではなかった。どこまでいってもそう。私は、そうではなかった。若いうちから一人で生きていくと心に決めて、歳をとっても揺らがずにその選択を疑いも迷いもしない人々のことを尊敬するし、羨ましく思う。結局私は、また車を持つこともしない。大型二輪にも乗り換えない。旅行にも行かない、パートナーなど望むべくもない。やりたいことぜんぶやるなんて生き様とは程遠い人生だ。空しい。孤独。でも、今更社交の場に出ようとしても教養も経験も話術もない。そして何より愛嬌がない。素直さもない。知性もない。何もかもが今更。人生設計の誤り、あるいは不存在。私は選択に失敗した。あるいは、行動しないという選択をしてしまったがゆえに破滅した。家も車も大型二輪も技術的な自己研鑽も創作も家族も子供もない、失敗した人生。結局のところ、私は底の浅い人間だから。